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広島高等裁判所 昭和24年(新)44号 判決

控訴人 被告人 金本仙吉 光川正夫

弁護人 田坂戒三

検察官 本位田昇関与

主文

本件控訴はいずれも之を棄却する。

理由

弁護人田坂戒三の控訴趣意は末尾添附の控訴申立の趣意書」と題する書面に記載の通りである。

第一点の論旨は要するに、原審に於て証拠調前被告の冒頭陳述の段階に於て裁判官が被告人に対し犯罪事実に立入つて問を発して居るのは、証拠調前に裁判官に予断を懐かせないとの新法の精神に反する違法の手続であるというに帰着する。

惟うに新刑事訴訟法が起訴状一本主義を採用してゐること(同法第二百五十六条末項)公判審理の順序として起訴状朗読に始まり默秘権及供述拒否権の告知、冒頭陳述を経て証拠調をすると言う順序を定めて居ること(同法第二百九十一条第二百九十二条)全体として英米法的当事者主義を基調として居ること等より観れば裁判官は細心且周到な注意を以て法廷に臨み些さかでも偏見乃至予断を懐いてゐるのではないかと疑はれるような態度は絶対に愼しむべきことであるから、裁判官が証拠調手続前被告人の冒頭陳述の段階において犯罪事実の内容に立ち入つて被告人に詳細な質問をすることは新刑事訴訟法の精神に合しないものと言わねばならない。

然し乍ら証拠調前に犯罪内容に立入つて尋問することを絶対禁止した法条なく、却つて被告人が任意に供述する場合には裁判官は審理の経過中時期の如何を問わず又発問の内容の如何を問わずその必要と思料する事項について尋問することを許されて居り、(同法第三百十一条第二項)一面被告人には默秘権や供述拒否権が認められて居つて自己に不利益なことは供述を拒むことが出来るのであるから右段階において多少立入つた供述を聴いても被告人の保護には別に欠くるところはないのである。

以上の諸点を綜合して考えると本件における様に裁判官が冒頭陳述の段階において被告人等に対し経歴、家族関係、收入、犯行の動機、状況等について問を発し、被告人の詳細な任意供述の行はれてゐることは新刑事訴訟法の精神に照し妥当でなく、斯ることは之を避けることが望ましいのであるが未だ之を以て違法の手続と迄は言い得ないものであると考える。従つて此の点に関する論旨は採用することが出来ない。

第二点量刑が不当に重いことを主張して居る。そして其の理由として挙げて居る事実も一応認め得られるところであるが之等の事情があるからと言つて直ちに執行猶予にするのが相当だとは言えない。被告人両名共家族は夫々自分共で三名の小人数でありいずれも果実商として生計を立てていたのに別に之という恕すべき動機もなしに深夜他人の家に忍び込み多数の衣料品を窃取したことから見て、原審の懲役各十月という科刑が重きに失するとも認められないので此の点の論旨も理由がないと言わねばならない。

そこで刑事訴訟法第三百九十六条に従つて本件控訴は之を棄却することとした次第である。

(裁判長判事 柳田躬則 判事 藤井寛 判事 永見真人)

弁護人田坂戒三控訴趣意

第一、事件の裁判あるまでは被疑者は飽く迄被疑者として扱われ裁判官はその事件に関しては白紙であり公判を中心とする審理を立前として審理の順序段階も自ら其ように取扱われねばならぬことは言を俟たない。

従つて起訴状の朗読、冒頭陳述(二九一条)証拠の提出(二九二条)之に対する抗争の段階を経た時裁判官は初めて被告事件罪となるや否や及争点に関する各種事項を把握することが出来る筈で其以後に於いて漸く事件の直接又は間接事実、参考事項等真実の発見に必要なりとする資料を得る為め発問し得ると思う尤も法第三百十一条には裁判長は何時にても必要とする事項につき被告人の供述を求めることが出来るとあるので之を以て如何なる供述をも求めることが出来るよう解釈しようとするものもあろうが私は右供述を求め得る範囲は審理順序の段階に於ける事項の範囲を逸脱してはならぬと解釈する即ち当該段階より先に走るときは或種の予断がなくては出来ないことであるからである予断厳禁は刑訴の新精神であり凡ゆる裁判に於ける命である。公判では起訴状朗読、冒頭陳述に続いて証拠調があるべきである。然るに本件につき原審に於ける公判調書によると冒頭陳述の後十七頁以下裁判官は金本に対して「本件窃盜をすることについての相談はどちらから話し出したか」との発問を始め二十三頁迄犯罪につき取調を進めてゐる、一体何を基礎に斯る確信ある取調が行われたか大いに疑なき能はさるものがある此取調を了つて裁判官は証拠調をする旨を告げてゐる、右は審理の順序を転倒し予断に基く取調を基礎として審判されたと云うの外はない。斯る審理による判断は判決に影響するところ少からず又刑事訴訟法の精神でもない結局は間違つた手続による判決だと云わねばならぬ。

第二、本件は被告人等に是非執行猶予の判決を言渡されねばならんと考える、其理由として次の諸点を挙げることが出来る。

(イ)被告人光川正夫は昭和六年三月三日生で本件犯罪の行われた昭和二十四年一月七日当時十七才七ケ月余で違法の社会的影響並に被害者に対する認識即ち弁識力が不充分であつたこと。

(ロ)犯罪が飲酒の上での常規を逸した際の出来事であつたこと。

(ハ)盜品は全部被害者へ還付され被害の無い原状に復し得たこと(29頁)並に被害者からも其旨を述べて減刑の嘆願に及んでいること(33頁)

(ニ)被告人光川正夫の実父孝裕一は朝鮮生であるが久敷日本に生活し現に本派本願寺布教師を務め僧籍に入り宗教家として指導しているもので(34 38頁)同人は未決監に被告人等を懇々と覚し仍て以て被告人等を得説して正直な申立をさせた事跡もあり而も其結果被告人等に代つて被害者に三拝九拝して陳謝していること、同人は被告人等を布教所に引取つて監護し仏の道を説き聞かせ真人間にすることを誓つているので後顧の憂なきことを信ずるに足る事情の存すること(41頁)

(ホ)之に照応して被告人等も亦「悪いことをしました今後絶体にこんな悪いことは致しません」旨最終陳述をして十分改悛していること。

(ヘ)被告人光川正夫は日本で育ち日本語に通じ日本の国民学校を卒業し性質は普通でよく働いたもので(93頁)前科もなく特に犯罪性あるものとは云えないこと。

以上列挙の事由を刑法第二十五条刑訴二四八条仮釈放審規定第十二条等よりするときは其犯情正に執行猶予の言渡を為すべき事情に該当し殊に教育刑主義の刑罰観よりするときは是非此の宣言可有之ものと思料する原判決は量刑重く執行猶予とすべきところを為さなかつた誹議ありと思う。

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